公共施設や商業施設、又車通りの多い道などでも子供を野放しにする親が後を絶ちません。なぜこんなことになるのでしょうか。今回はそんなことはどうでも良くて、私が今まで見てきて記憶に残っているなぜそうなる?と思った親をここに記します。
特に意味はありません。
商業施設での鬼ごっこを放置する親
これはあるあるなのではないでしょうか。
普通のスーパーでよく見かける光景です。普通に鬼ごっこみたいなのしてますよね。
注意もしない親もいますが、むしろ鬼ごっこを促している親まで存在します。兄弟の勝ち負けを決めている親がいたのです。なんで注意もせずに逆に促進してるんだよと思いましたがそういう人間もいるということですね。
それを見てから単に放置している親がなんだか可愛らしく見えてきました。しかしよくよく冷静になって考えて見たら、子ども連れて来て子供をガン無視な親の方がもっとやばいのでは?と思えて、結局ガン無視な放置親の方がやばいという結論に今至っています。
店や公共施設で騒いでいるのにガン無視な親
これは飲食店や電車の中でよく見かける光景です。
子供が奇声をあげているのにもかかわらず親はガン無視、酷い時にはスマホを一心不乱に見つめている。子供は親に構ってほしいからわめているものだと思っています。それをスマホ見つめてガン無視とか、完全に親の自覚ないですね。
親になったら親になる前の生活にはもう戻れないと覚悟しないといけないと思うんですよね。それが親になるということなんじゃないでしょうか。
これは子どもが単純にかわいそうです。
公道で邪魔になっているのに子供を撮影しながら歩く親
公園でやっているならいいのです。
親が子どもの記録として撮影しているのでしょう。一緒に歩いて数歩後ろを親が歩いて、子供をスマホで撮影している親。公園なら何と微笑ましい姿でしょうか。
しかしこれを、車通りの激しい横の歩道で行っているのはいかがなものでしょう。ただでさえ子供はふらふらと歩くのに、歩道の幅にもよりますが他の歩行者の邪魔にもなりますし、子供が道に飛び出たら、なんてことは考えないのでしょうか。
危機管理が欠如しているとしか思えません。
子供を守るのは親なのですから、公道のような危険な場所で子供の撮影はやめてほしいものです。
兄姉(もしくは妹弟)だけ放置していこうとする親
これも子供がかわいそうです。
兄弟の一方は手を繋いでいるのに、もう一方は「じゃあね」と言われて置いて行かれる。
この「じゃあね」とか「ばいばい」とかわざと言って子供を促す親っていますが、これ効果あるんですか。可哀そうで仕方ないんですけど。
話が脱線しました。それを兄弟の年もさほど違わないように見える片方だけにやって、片方は大事そうに手を繋いでいる親っています。
これってやはり兄弟によって愛情の注がれ方の差異の問題なんでしょうかね。悲しいものですね。
子供が構ってほしそうにしているのに自分はスケボーに熱中している親
これびっくりしました。
公園の出来事です。
子どもが親と遊びたそうに話しかけているにっも関わらず、親はガン無視して道路でスケボーに熱中しているのです。しかも住宅地のど真ん中にある公園の道路で。うるさいし子供がかわいそうだしで見てられない親でした。
なぜあんなことになってしまうのでしょうか。理解が出来ない。
なぜ子供を放置するのか
なぜ子供を放置するのか。商業施設での鬼ごっこに関しては、親は買い物のために集中しているという点があるのである程度は理解できますが、それ以外は完全に親が自分中心に考えていることから成ることです。
つまり子供を野放しにする親は子どもより自分を優先している場合が多いということになるでしょう。
親になったのなら子供中心であるべきですし、それが親になるという重大な事柄なのではないでしょうか。これを自覚していない親、覚悟していないまま親になった人間が多いということですね。
というわけで以上親五選でした。
きっとまだまだ記憶を掘り下げていけばあるのでしょうけどここまでにしておきます。これ以上掘り下げても特に良い気分にもなりませんし。
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