騒音問題やマナー違反迷惑行為などでJR加古川駅のピアノが撤去されて話題になり始めたこの話。
騒音による苦情はそもそも何が原因なのか、日本の風土に合っていないのか。騒音に悩まされる私がここに記します。
加古川・名古屋ピアノ撤去
『NHK ストリートピアノ 半年で撤去 マナー違反相次ぎ 兵庫 加古川』
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230428/k10014052641000.html
ストリートピアノの撤去について、色々と批判したりお気持ちを表明されている方々もいらっしゃいますが、結局のところ加古川の場合はマナー違反が主な原因のようですね。
ただ、だからと言って私が思うにおそらくは苦情は「マナー違反」だけが原因ではないと思っています。
ブラウザ検索でも検索候補に出てくる通り、「うざい」「うるさい」など純粋に不快に思っている方々もいるようで、「純粋にうるさいんです」という内容の苦情も中にはあったのではないかなと思うのです。
↓の名古屋のピアノがそういう純粋な苦情だったのでしょう。
『中日新聞 ストリートピアノは騒音なの? 名古屋市がゲートタワーに設置→苦情受け休止に』
https://www.chunichi.co.jp/article/696138
色々賛否両論ありますが、ではそもそも何がそういった「うるさい」という騒音になるのでしょうか。原因は何なのでしょうか。
「気持ちの表明」ではなくその原因を探る必要があろうかと思います。
「うるさい」といういわれる原因
設置場所の問題(屋外設置で近隣住居への騒音・日常生活空間への侵害)
一番大きな原因は「設置場所が悪い」という点かと推察します。
というのも、人が一番騒音問題に発展するのは「日常生活」です。騒音問題と検索すればその証拠があります。すべて「自宅」に関するトラブルです。
つまりは「日常生活」を侵害されることが一番の問題なのです。
では駅や通路脇などは日常の空間なのかというとその通りです。
通勤通学帰宅で頻繁に、人によってはほぼ毎日使い空間になります。そんな中に大音量でピアノを弾かれ、毎日のようにきく可能性があるとなるとそれはストレスでしょう。
さらに住宅地近くの域に置いていたり、屋外に置いていたりすると住居への騒音にまで発展してしまう恐れがあります。一番ダメなやつです。
この「日常生活への侵害」という点がストリートピアノの最も悪影響のある部分であり、騒音被害の代表的な例でもあるのです。
日本の風土に合っていないし欧米に合わせる必要もない
設置場所に少し関係する話ですが、とにかく狭いんですよね。日本は。
天井も低いし空間も狭い。そんなところでピアノ弾いてたらそりゃ騒音になりますわな。
また、建築に関しても以前「子どもの騒音問題」で言ったようにヨーロッパのような分厚いレンガや石造りの壁じゃないんですから、建物への影響も大きいのです。
それ以外にもネットで言っている方もいますが、日本には公共の場で音楽を楽しむという文化がないんですよね。
欧米に倣ってこういうストリートピアノをいきなり置き始めましたが、正直誰かが弾いていても欧米のように立ち止まる人なんてほとんどいないし、立ち止まったとしても「観客」ではなく、珍しいものを見る「野次馬」に近い感じです。だからこの記事↓のように別にそこまで拍手もこらないし、コミュニケーションも生まれないんですよね。
『マナー違反続出で「駅のピアノ」が撤去。海外とは明らかに違う、日本のストリートピアノの“つまらなさ”』
https://news.yahoo.co.jp/articles/481b87e9632d7b20ad0ccad0060c4d56095e7b33
これは風土としか言いようがないですし、その風土を欧米に合わせようとする必要もないでしょう。
防音性については「生活の質」の問題でもあり死活問題にもなってきているので参考にすればいいと思いますが、ストリートピアノの楽しみ方はあくまで「娯楽」なので。「生活の質」と「娯楽」とは別物なので、「娯楽」に関しては別に無理やり他国に寄せることはないです。死活問題でも何でもないです。
そんな日本の風土に不満を感じている方もいらっしゃいますけど、それは割り切ってもらうしかないでしょう。あまり他人に影響を与えない場所で仲間内だけで楽しんでもらいたいものです。
その他マナー違反や自己顕示欲
これはネットでよく言われていることなので、あんまりここでは取り上げませんけど、結局のところ「利用者の配慮」って言うのはかなり重要で、こういう公共の場で何かを行う際には「常に自分が誰かの迷惑になっているのではないか」という気持ちでいなければならないのです。
他人の事を考えずに自分のためだけに好き勝手する人や、これをやれば皆絶対に喜ぶだろうと思いこむ人。
注意しなければなりません。
改善策
設置場所を変える
完全独立の室内休憩スペースへの設置
例えば完全に独立した室内の休憩所などに設置するというものです。
ストリートピアノは駅や道など不特定多数の人が行きかうところに設置されるものですが、そうではなくて決まったある部屋に置けば良いのではないかと思うのです。でも公共スペースでないとストリートピアノの意味もないですから、一番適任なのが観光地などによく見かける「室内の休憩専用スペース」です。
ピアノがあるという事はそこでピアノが弾かれるという事を了承してそこで休憩するという事になりますし、そうでないなら張り紙でもしておけば、「ピアノが弾かれる可能性がある」という認知にもつながります。
完全室内なので不特定多数の日常を侵すことにもなりませんし、近隣の騒音も避けられるでしょう。
「不特定多数の人に聞いてもらってこそのストリートピアノだ」という人がいそうですが、正直それは身勝手です。「聞いてほしい人」がいる一方で「聞きたくない人」がいるのは当然。どちらか一方を弾圧することもおかしな話。だったらやはりこういう独立した室内の休憩スペースで弾くのが最適でしょう。
駅や通路でなく、デパートなどの屋根付き広場に設置
先ほども言いましたが、「騒音」という定義で最も影響するのが「日常生活」です。この「日常生活」が侵されることが人間にとって最も嫌う事です。
駅や街中の通路というのは通勤通学帰宅という毎日の日常で使う場所です。さらに住宅が近くにある場合もあります。住居への侵害は悲惨なものです。こういった日常に影響しにくい場所を選んで設置するべきだと思うのです。
それが完全な商業地帯や施設でよくあるような広い屋根付きの広場。
主に観光や普段生活以外でのお出かけの買い物目的で来る人が集まる場所。こういったところに設置すると「日常とは離れた場所」になるのでストリートピアノもちょうどいい場所になるのではないでしょうか。
しかしまあ、その場所で働いている人からするとそこが「日常空間」になってしまうわけですが・・・。
また、「広い」って言うのが重要で、狭い屋根付き広場だと音が反響し過ぎでまたうるさいわけです。それに人とピアノとの位置も近くなります。
まさに名古屋のビル内のピアノがそれです。「多くの人が行きかう室内」というのは反響しすぎてうるさいと思われてしまう。
広さも大事なのです。
放送設備のある場所に置かない
駅が代表的な例ですが、館内放送とか案内放送とかが行われる場所に置くと、それを妨げる原因になってしまいます。
自分の聞きたい情報、何を放送されているのか気になる、案内が聞こえないということは騒音の代表でもありますが、それを体現してしまうわけです。
なので、案内や放送が行われるような空間は避けるべきです。
開放日時を厳しく決める
「日常」の侵害をしないような日時の設定をすることも一つの解決策と思われます。
例えば平日は開放しないとか。通勤通学帰宅ラッシュ時は開放しないとか。朝の何時から夜の何時までというのをもっと厳しくするとか。
こういう公共の自由スペースを開放するという事になると、それと同時に時間指定も厳しく設定することが必須になると考えます。そこまで自由にしてしまうとマナー違反者が好き勝手してしまうわけです。
日曜祝日の何時から何時までの開放みたいに、「なるべく多くの人に影響しない」日時設定をすることが重要というのが、公共スペース利用継続の合理的な考えです。
ピアノ自体は悪くない
誰もピアノ自体を嫌う人はいないと思います。
音楽のジャンルに好き嫌いはあれど、音楽自体が嫌いな人はいないと思います。
結局、どれだけ日常生活に影響するか、どれだけ他人に配慮できるかが問題なのです。
日々騒音公害の被害を受け続けている私ですが、とある地方の長いアーケード商店街に行ったとき、室内の休憩所がありました。そこにはピアノが置いてありました。誰でも入れる休憩所に誰でも弾けるピアノが置いてあったのです。私が来たときは誰もいませんでしたが、後で父母子の親子三人が入ってきました。どうやら地元の方で定期的に通っているような様子でした。そして、先に休憩所に入っていた私に親御さんが「ピアノ弾いても大丈夫ですか?」と聞いてきました。
そんなのべつに、私に許可取る必要なんてないじゃないですか。でもこうやってきいてきたのです。これが「配慮」です。もちろん快諾したし、私もその場で休憩しながら聞き入っていました。お子さんが練習している感じでした。
これが理想でしょう。これが日本の在り方だと思うんです。その地の風土に合ったやり方で馴染ませればいいのです。
だから私は何でもかんでもピアノを撤去すればいいとは思わないし、逆にそのためには何でもかんでもピアノを設置するというのも賛成できないのです。
こうしてメリットとデメリットを学んでいくことも必要だと思います。その中で極端に偏った主張ばかり通していくことはないようにしなければいけないと思うのです。
コメント