通行人を急に怒鳴り散らかす見回り老人が、昔からの町内には一人はいます。ある意味ご近所問題というか、迷惑行為という感じです。
ですが、こういった人を味方につけると心強いのです。
味方につけるべき理由、私が味方につけてメリットがうまれた体験談を紹介します。
ただ、味方につけるべき人か、そうでない人かの見極めも重要です。
どんな人かの事例
今回問題の見回り老人の事例はこんな人です。
悪い面
- 番地全体が自分のテリトリーだと思っている。
- テリトリー内ではほぼ毎日常に監視。
- 路上駐車には怒鳴りつける。
- 他、ただ注意さえ促せばいいものを急に怒鳴りつける。
- 一応8割方は法律に沿っている主張。2割くらいは理不尽。
- 法律以外にも迷惑行為に対しては急に怒鳴る。
- 自分が気に入らない事にも怒鳴る。
- 同じ町内、近所の家に対しても急に怒鳴る。
- 勝手に道路に看板や規制線を置く。
厄介なのは、急に怒鳴りつけることです。私に怒鳴っているわけではないですが、家の中にいてもうるさいほどの怒鳴り声なのでびっくりするのです。
あと、すべてがテリトリーだと思っているからか、近隣住民に対しても気に入らないことがあったら怒鳴るし、勝手に道路に看板を置いたりもします。(今は撤去されたようですが・・・)
良い面
しかしこういう一面もあります。
- 普通の時は普通に話せる。
- 笑いもする。
- 挨拶は返してくれる。何なら向こうからしてくるときもある。
- 近所の工事などに関しては、監視しているので詳しいらしく、何ができるかなどいろいろ教えてくれる。
怒っているとき以外で話すときは結構普通な人です。
まあ、騒音は出すんですけどね・・・。なにかを打ち付ける音を出しています。あと、結構やばいこともやることはあります。その時は、匿名で警察や消防に連絡だ!
さて、一部理不尽な所や自分が法律に沿ってないだろ、と思う所がありますが、これは味方につけるべきなのか・・・?
味方につけるべき人であるか
私は、今回の人に関しては味方につけるべきであると考えます。
基本的に「話が通じて、普通に話せて、挨拶を返してくれる人で、8割方は法律に沿った形で怒る」なら、それは味方につけるべきだと思います。
逆に味方につけてはいけない人は、↑の逆の人です。
「話が通じない、会話ができない、挨拶を返してくれない、怒っている所しか見たことがない、ほとんど理不尽に怒鳴る」
なんてのは、味方にしようとしてはいけない人です。というか関わってはいけない人です。結構いますからね。そういう人。
なので、今回の事例のような人だと、味方につけるべき人なのです。
味方につける方法
ではどうやって味方につけるのか。
簡単で、いい部分に付け入ればいいのです。つまり、当たり前のことをしていればいいのです。
- 挨拶をする。
- 話をする。話を聞く。
- 共感する。
- 法律や決まりを守る。(路駐しないなど)
もう当たり前のことです。特に「挨拶をする」ですね。
この当たり前のことで、結構仲良くなれるものです。
まあ、つまりは自分のテリトリーの仲間と思わせればいいのです。
これで仲良くなれるので、今回の見回り老人は、どちらかといえば、常識人寄りの少し厄介な見回り老人だったのです。
見方を付けてどんなメリットがあるか
ではどんなメリットがあるかです。
私の場合は、こんなメリットがありました。
- 公道スケボー少年に怒鳴る→もう来なくなった。(下【関連記事】あり)
- 他社の敷地不法侵入横断者に怒鳴る→それ以降2度目は見たことはない。
- 歩行者道路の猛スピード自転車走行に怒鳴る→車道を走る人が多くなった。
- 路駐を怒鳴る→アイドリングして家の近くに停まる車がどこか行った。
- これらの積み重ねか、変な人や迷惑人がそれほど通らなくなった。
- 仲良くなることで、↑のような迷惑行為をこちらが発見した場合、その人に言いつければ、タイミングが合えば怒鳴ってくれる。
- 行政に対しても同じ感じなので、こちらが相談すれば、交渉してくれることもある。
- ↑のような実感があるからか、よそからくる変な人は追い払ってくれるだろう。また減ってきているということで、精神的にも幾分か楽になる。
- 仲良くなることでいろいろ教えてくれる。
- 迷惑行為などを身近に愚痴る相手がいて、精神的に楽になる。
まあつまりは、テリトリーの仲間と思われることで、ある意味守ってもらうことができるわけですね。あと、「精神的に楽になる」というのが大きいです。
スケボー少年の件に関しては、関連記事があります。
【関連記事】:【迷惑行為】公道スケボー少年→近所のおじいさんが対処してくれた
もちろん、その見回り老人の発する騒音問題はありますが、それは正直抑えることはできません。なぜなら、そういう人は自分のことに対しては絶対正義なので。それにここの住人ですから。
なので、それは仕方ないとして、だったらその分を他の近隣問題解決で補ってもらおうじゃないかという話です。
利用すればいいのです。利用できるかの見極めは大事ですが。
疫病神も利用すれば、意外と福の神・厄除神に化けることもあるのかもしれません。
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