騒音問題が軽んじられている理由

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騒音問題が軽んじられている理由

パワハラセクハラは取り上げられるのに、健康被害や精神的負担の大きな騒音問題は未だに軽視されている日本。騒音苦情はクレーマーだとも言われるほどです。

なぜそんな軽んじさられる世の中になっているのか。

今ここに真相を記します。

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公共騒音が非常に多いから

騒音問題には主に住民同士の「生活騒音」と、インフラや開発、工場による「公害騒音」があります。

どっちが多いというのはデータがないのでわかりませんが、最近話題となり特に騒音被害者側が苦情を入れたことによってネットで叩かれているのは「公園の騒音」「鉄道騒音」「工事騒音」「航空機騒音(基地・空港)」です。

つまり「公害騒音」です。

 

対して「生活騒音」はSNSなどを見る限り、かなり多くの被害者おり、共有、同情、拡散、騒音主に対しての非難が行われています。騒音被害者であることには変わらないにせよ、「騒音被害の告発、苦情」に対しての批判は少ないように思えます。

では「公害騒音」の話に戻しましょう。公害騒音への苦情がなされると、これでもかというほど騒音被害者、苦情を出した側に対して非難が集中します。「我慢しろ」だの「引っ越せ」だの。なぜなのでしょうか。

それは「公害」=「公共」だからです。本来はそうではないですが、「公園の騒音」「鉄道騒音」「航空機騒音(基地・空港)」は誰もが利用する施設であり、サービスであります。

「公共」=「正義」
「公共」に対しての苦情は「悪」

こういうことです。
だから「公害騒音」に対しての苦情は苦情を出した側が叩かれるのです。

被害者より便利になる人の割合が多いから

前項の話の続きになりますが、ではなぜ「公共」=「正義」になるかというと、不特定多数の人が利用するからです。では、その不特定多数の人が利用する物が騒音を発して近隣住民へ騒音被害を加えているとすると、騒音被害者は「一部の近隣住民」になるわけです。

「不特定多数」「一部の近隣住民」。つまり数が違いすぎるのです。数は力です。

少数派が悪になる世の中。

騒音被害がなくなるはずがないということです。

騒音源を利用している人が多いから

また前項の続きのような話になってしまいますが、数が多ければだれもがその騒音源を利用している、又はその騒音源から何らかの恩恵を受けているということになります。

自分に恩恵のあることに対しては味方したくなるのは当然です。「公害騒音」というのはそういった人が大多数なのです。

つまり言い換えれば「騒音源がなくなっては困る人が多い」ということです。

そうなれば「騒音源がなくなったほうが嬉しい」近隣住民の方がより多くの攻撃を受けることは火を見るよりも明らかなのです。

騒音発生源を守ることに大義があるから

前項、前々項に続く話ですが、特にSNSのことです。

騒音被害者が騒音に対して苦情を入れた場合、やはりその被害者に向けての誹謗中傷や避難が目立つのがSNSです。

先ほども話した通り、「多くの人が使う物」というのは大きな原因であります。なぜならその騒音被害者の苦情という物はつまり、多くの人が使う物への苦情、つまり多くの人への苦情、多くの人への敵、とみなされるからです。それを罰すること、つまりは「叩く」ということは、多くの人の味方をし、擁護していることになると思い込んでおり、そうすれば大義名分、正義執行となる。

とか思っているのでしょう。

くわえて、最近起きた公園騒音や幼稚園騒音の話題では、「子供の騒音」に対して寛容かどうかみたい話がなされています。そもそも子どもの騒音の擁護者は子どもの騒音を経験したことがない人がほとんどであるでしょうが(なぜなら行っていることが現実と全然違う、実情を全く理解していないから)、「子どもを守る」ことへの大義があるから、「子どもを守ることは正義だから」であると思っているからです。

「大義」や「正義」を全うすれば、自分も気持ちよくなれます。そして他人からの賛同の声、称賛の声。まさに承認欲求を満たす絶好の機会です。

騒音発生源を守るために騒音被害者の意見を非難し、罵倒し、叩く。そうすることで気持ち良くなっちゃうんですね。

騒音被害者は叩きやすいから

また、騒音被害者を叩くことによって気持ちよくなっちゃう理由はほかにもあります。

それはただ単に「他人を攻撃する」「他人を叩く」ことに快感を得ている人たち。要はアンチです。

そういったアンチが「安全に他人を叩く」ことができる対象は、こういった少数且つ立場が弱い且つ叩くことで大義を成せる「騒音被害者からの苦情」です。

もう何でも許されると思っています。

この前の長野の公園の件。SNSで見た方もいらっしゃるでしょうが、もう見るに堪えない暴言の数々。あれは公園問題どうこうではなく、ただ単に「誰かを叩くこと」「誰かを攻撃すること」に気持ちよくなっているだけです。

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ああいう幼稚な方々の標的になりやすいのが騒音被害者なのです。

セクハラやパワハラのように誰もが不快になるというわけではないから

そもそも「騒音」と一言で言っても人によっては感じ方が違うものです。不快になる音も違えば、音の大きさの許容も人によって違います。

音の聞こえ方も違えば、音自体を不快に思うかどうか。音の質。何の音か。鉄道好きなら鉄道の音は不快に感じないでしょうし、車好きならむしろ自動車騒音地帯なんて願ったりかなったりの場所でしょう。

つまり、騒音問題は誰しもが不快であるというわけではないのです。

対して、例えばセクハラパワハラの問題がありますが、あれは誰が受けても不快に感じますよね。だからこそここまで大事に発展し、それを抑制するような施策、メディアの報道、被害者の保護、加害者への罰がはっきりしているのです。しかし騒音にはそれがない。万人に対する絶対的被害という物がないのです。

だからここまで騒音被害は無視され続けているのです。

誰しもが無意識に騒音加害者になっていると自覚しているから

さて、前項の話に通づるものがありますが、騒音問題というのは誰しもが被害者になる可能性もありながら、同時に加害者になる可能性もあります。そして実は皆それを理解しています。

「自分が騒音を出している」ほんの少しでも自覚があるのです。生活するうえで、仕事をするうえで、開発するうえで。いや、もはやこの世に生きているうえで「音」とは必ず出ます。それが騒音になっている可能性は十分にあり、一々そんなことを気にして生きていません。だからこそ無意識の騒音加害の可能性があり、騒音被害が取り沙汰されると「うちもかもしれない」と少なからずどこかで思うはず。いやむしろ「うちは大丈夫だろう」「うちには関係ないだろう」と思った時点で、「可能性」自体は考えていることになります。

それらを排除したがるのです。

もしその「騒音被害」がまかり通ったら、次はうちが訴えられる。

分かりやすいのが夜中にうるさい改造車やうるさいバイク乗り共でしょう。

彼らは「うるさい音」を出している自覚があり、それを楽しんでいます。だからこそそういった類の騒音被害ニュースが出たときは、まるで自分の身や自分の仲間の身を護るように擁護します。

「次は自分が訴えられる」状況にならないようにするため前例を作らせないためです。

そんな人が多すぎる故にいつも騒音被害者が騒音被害を訴えると叩かれるのです。

被害者を叩く輩がその騒音主であり、悪いとすら思っていない場合があるから

前項の話に加え、まさに「自分自身が騒音主」である場合、そう分かっている場合。それも改造車やうるさいバイク乗り共、加えて道路族という者たちが特にそうです。

この前SNSで見たのですが、某板金屋が「騒音基準を120dbにしろ」などと言っている、ちょっと理解不能なツイートをしているアカウントがありました。プロフィールを見るとどうもそういった改造車を手掛けている工場(こうば)らしく、リツイートにも多くの改造車のツイートを載せていました。

こういった自覚はありながら一切悪いと思っていない騒音主がいるのは事実です。

道路族でもそういった輩はいるのではないでしょうか。

騒音問題解決には金と時間がかかるから

そもそも騒音被害は、パワハラやセクハラなどのような加害者の誠意や加害者の賠償だけで解決するようなものではありません。

生活騒音ではむしろ被害者側が引っ越し防音設備投資をしなくてはならず被害者が金をかけることも多い。加害者に訴えたところで、戸建てならば大家がいるわけでもなく住民同士での解決になりますが、そもそも加害者が加害であると認めることも少ない。アパートなどでもどちらかが引っ越すしかもはや方法がなく、どちらかが膨大な金を消費することになります。

公害騒音ではさらに金のかかり方が違ってきます。沿線住民への防音設備補償、騒音源の防音対策、騒音源の新調、騒音調査、更には膨大な金と時間を要します。しかも会社ならまだしも、これが行政原因となると、ただでさえ尻が重い行政である上に、企業のような信用問題がない(信用が無くても税金から金が入る)ので、なるべく金をかけない方法でテキトーにあしらわれる可能性がほとんどです。

行政がこんな態度なので一向に騒音問題は解決には向かわないでしょうし、行政が自信を加害者だと認めることは今後もないので解決の希望はないと思ったほうがいいです。

騒音被害は「苦情」により判明するので「クレーム」と見分けのつかない者がいるから

さて、「苦情」と「クレーム」。この違いをどう見極めるか。

これは特に公害騒音に関することですが、行政はクレーム対応というテンプレがあるらしいです。そのテンプレは間違いなくどんな苦情でも使われることでしょう。

しかし、騒音被害というのは「実害」なわけです。関係ない所からクレームを言っているのではありません。熊の被害地域外の人間が熊を駆除するなと言っている「当人と関係ないことへのクレーム」とはわけが違うのです。生活が懸かっているのです。

「実害に対する苦情」と「当人と関係ないことへのクレーム」は一緒にすべきではない。

しかし、それを混同している連中が数多くいます。これはSNSでもいます。

ただ質が悪いのは、行政すらもこれらを一緒に考える認識をすることがあるということです。

この「苦情」と「クレーム」の違い。SNS中毒者に対してならその程度の頭ということで諦めはついても、行政までそんなことだと、まあ騒音被害は減りませんよね。

被害者を叩く風潮がある

そもそもなぜか騒音被害者を叩く風潮があります。

その「なぜ」かは、今まで述べた通りです。このすべてが総合的に「騒音被害者を叩く風潮」を作り出しているのです。

実はこれって騒音被害に関すること以外にも言える事ですよね。

パワハラやセクハラも今は問題視されるようになったと言いましたが、以前までは被害者側に問題があるみたいな感じで言われてましたよね。いじめも一緒です。いじめられた方が悪い。

「被害者」というのは「叩かれる」ものなのです。というか「叩かれる」から被害者なわけでもあります。

人は自分より弱い相手を探したがります。そして自分と同等かそれ以上であると判断すればそれを蹴落としにかかります。自分より弱い者へはどうか。上がってこないようにさらに蹴落とします。そして絶対に上がってこれなくなったら眼中になくなるのです。

被害者叩きはまさに「自分より弱い者を絶対に上がってこれなくするまで叩く」行為なのです。

加えて自らの正当性を示す行為でもあります。

この2つが被害者を叩く心理を作り、集団リンチにまで発展する。それがSNS上での騒音被害者叩きにも通づるのです。

騒音は被害者以外には理解できないから

実際問題、騒音被害とは実際に受けてみないと分からないことが多いです。というかどんな被害でもそうですね。実際に受けていないような連中がいくら何を言っても的外れなのです。理解できていないから。

騒音問題に対して軽んじている連中、騒音被害者を叩いている連中は、よほど静かな場所で暮らしているのでしょう。または先に言ったようにそのもの自体が騒音主か。

一度騒音被害を受ければおそらく誰もがわかる。生活環境を破壊される現実。

でもそれを体験せずに叩いているのなら、理解するのは不可能ですし、どう話しても無駄。理解しようとしないから。

騒音被害を軽んじている方々には、是非ともその住宅隣接地に今後都市開発や隣接地に謎の工場などが建てられることなどによって騒音に陥ってもらいたいですね。

騒音被害者側を叩く者とは絶対に分かり合えない

いずれにしてもこのような理由によって、生活騒音にしても公害騒音にしても、被害者にならない限り、アンチ連中と分かり合うなど不可能です。

SNSで訴えていればそういったアンチもなぜか寄ってくるでしょうし、意味不明な言動をする人も出てくるでしょう。まあ、そういった人とは議論しないことですね。もう彼等には「理解する」という前提がないので、話をしても無駄です。

そのくらいなら今の騒音地獄を脱する方法を考えましょう。

まあ騒音対策をするのもありですが、個人的には世間に負けずに訴え続けることをあきらめないでほしいです。

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